●2004.4/後半+α:晴れ
「呼べない人・補足」

 多分、どんな人でも子供の頃は感情移入能力は高かったと思います。そうでなければ”人間”になれませんから。その辺は、興味があったら本屋でまっとうな専門書でも読んでください。ここで論じる事では有りません。その感情移入能力や無条件の共感能力は、大人になるに従って薄れていきます。小難しい専門用語は知りませんが、”大人に成るって事は、汚れてしまう事なのね・・・”って感じ(笑)。何かに夢中になれる事と、堅実に生きていく事は両立難しいでしょう?でも、子供の頃は時間の経つのも忘れて夢中になれる事が有ったはずです。

 まあ、オタクの場合夢中になれる事が偏っていて、かつ長じてからも高い感情移入能力を保持したままなのが問題だったりする訳ですが(笑)。

 オタクの定義は人それぞれですし、感情移入のみでそのレベルを計れるものでは有りません。ですが、私についてだけ感情移入の度合いを考えてみると、まだオタクと呼べたかどうか疑わしい子供の頃のその高さに今は到底及びません。というか、アレは感情移入というのとは別物です。昔々、「ザブングル」とかを見ていた時、見終わるまでコマーシャルが有った事に気がつきませんでした。テレビの前で、まだかまだかと始まるのを待って、気がついたら30分経っていた。あれ?いつコマーシャル有ったんだろう・・・それくらい、夢中になってテレビを見ていました。その時リアルタイムでのめり込んでいた自分の精神状態はもう思い出せませんが、コマーシャルに気がつかなかったという自分に気がついたときの事は、はっきりと思い出せます。そして、その事に気が付いて以降、急速にブラウン管の中に入り込む事は無くなって行きました。

 

 なるべくしてオタクに成ったのは確実なのですが、いつからオタクに成ったかといえば、その時からなんでしょう。普通の人は、テレビや絵本の内側に入れなくなっても、入れなくなった事にすら気付かず忘れてしまうのでしょうし、他のオタクの人はどうなのか実のところわかりません。ただ、私は子供の頃に物語の”内側”と”外側”に同時に立っている自分に気が付いてしまったから、今でもオタクをしているんだと思います。

 テレビの外の事なんか気付かなかった自分と、なぜ気付かなかったのかが理解できない自分。同時に存在し得ない矛盾した自分が同時に存在したわずかな時間。磨り減り、磨耗して、残骸しかもう残っていませんが、その時の感覚を再現しつづけて今でもオタクをやっているのだと思います。おそらくは、オタクとしても異端でしょう。

 ”感情移入している自分を見ている自分”が成立している為には、感情移入している自分が居なければいけません。磨り減ってしまった感性のキャパ一杯一杯で感情移入していても、物語への共感能力に於いては、私はオタクとしては”並”かそれ以下でしょう。ですが、まあ、二つの立ち位置両方から物語を楽しめる辺りが、オタクとしての私の強みなのだと思います。


 で、次の月記から です。

 いや、バナーの賞味期限が4月末らしですので、今使わないともう使えないので(笑)。

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